先日サイエンス誌より、麻疹ワクチンの接種低下に警鐘をならす以下の論文が発表されました。
Measles virus infection diminishes preexisting antibodies that offer protection from other pathogens.
Mina MJ, Kula T, et al.
Science. 2019 Nov 1;366(6465):599-606. doi: 10.1126/science.aay6485.
その内容は、麻疹(はしか)にかかると免疫記憶のレパートリーが3~4割失われるというものです。
またこの免疫記憶の消失は麻疹ワクチンを接種することでは起こらないこともわかりました。
ワクチンの予防接種は公衆衛生として重要で、命の危険を伴う疾患の蔓延に歯止めをかけるだけではなく、重篤な後遺症から子供たちを守ります。
予防接種をすることは自分自身や、本人のためだけに限らず、地域や社会のためでもあります。
また我々医療人も医療現場での水平感染予防に、予防接種による免疫獲得をしていることが原則的に求められています。
それではサイエンスにとりあげられた上記新しい論文は、どの程度ワクチン推進の論拠となるのでしょうか。
Facebook上にて質問をいただきました本件、私自身も興味を感じたのでまとめてみました。
1、エビデンスレベルをもとめるために構造化抄読を作成する
ある研究論文をどの程度自分自身の医療体系に取り入れるか、あるいは医療行政として推進していくかは、エビデンスレベルに基づいて判断します。
リンク先にもありますが、エビデンスレベルおよびガイドラインは絶対遵守が求められるものではなく、あくまで意思決定の参考とし、論拠として扱います。
最終的にどのような医療を実施するかに関しては、患者の意思や信念なども含めて患者主体に決定していきますが、より合理的な判断となるよう正しい情報をわかりやすく提供するのが医師の務めでもあります。
さて話を戻すと、エビデンスレベルを求めるためには論文の骨組み部分まで抽出した下記のような構造化抄読を作成するのが近道です。
これは歯周病学会のガイドライン作成などでも取られる一般的な方法です。
構造化抄読
・研究デザイン
症例対照研究
・研究施設
アメリカ・ニュージーランド・フィンランドの医大学
・対症患者
ニュージーランドのワクチン接種率の低い地域における、予防接種を受けていない82名、9±2歳を以下に分類。
Mild MV:中等度の麻疹に罹患した34名
Sivior MV:重度の麻疹に罹患した43名
MV negative:麻疹に罹患した5名
また、以下の対照群を設定した。
control A:年齢と観察機関を上記調査と同程度とした28名
control B:年齢を上記調査と同程度にし、観察機関はより長い31名
control C: 成人で観察機関は麻疹群と同程度の22名
MMR vac:小児でMMRワクチンを接種した33名
・暴露要因
麻疹の罹患
・主要評価項目
VirScan(抗原を多数発現させたファージで網羅的に抗体を調べる)
・結果
Sivior MVで中央値40%、Mild MVで中央値33%の免疫レパートリーを喪失した。
MMR vacによる免疫レパートリーの喪失は見られなかった。
(Fig2-A)
・結論
麻疹罹患によって免疫記憶が失われる。
このとき抗体の減少はなく、記憶細胞の破壊がみられる。(後半の生化学的実験に基づく)
・エビデンスレべル
症例対照研究 Ⅳb
(Wikipediaより引用)
本文中ではコホート調査だと言及があります。
しかし実際にはMild MV,Sivior MV(77) と、MV negative(5)の比較部分のみがコホート調査となっていて、残りの対照群114名は後から追加した形になっています。
また、統計学的有意差はControl Aと、Mild MV, Sivior MVの2項目についての間であったようです。(Student t-test & bonferroni correction。箱髭図なのに?)
論拠の中心となる統計学的有意差の比較項目を鑑みて、研究全体としてはコホート調査(エビデンスレベルⅣa)とは認められないため、症例対照研究とみなすのが妥当と思われます。
この複雑な群分けを鑑みると、恐らく初期研究デザインとしてはコホート調査を予定していたのでしょう。
しかし想定よりも麻疹に罹患しなかったMV negativeが集まらず、1グループ5名では統計解析が成り立たなかったというやむを得ない事情があったのではないでしょうか。
もしMV negativeが20名ほどいれば非常にシンプルなコホート調査となり、標本数こそ少ないながらもワンランク質の高い研究になったと思われます。
一方で119名の対照群は様々なバリエーションを含み、論文の内容に厚みを持たせています。
とくにMMRワクチンを接種したMV vac群はワクチン接種の妥当性を主張するために必要です。
話はそれますが、MMRワクチンは世界で一般的に使用されているワクチンで、長年の安全性に関する実績があります。
しかし同時に薬害捏造事件として有名なウェイクフィールド事件にて脚光を浴びた経歴があります。
自閉症との関連を捏造した論文は最高峰の医雑誌ランセットに掲載されましたが、その後捏造と利益相反が明らかになると論文は撤回され、著者は医師資格を剥奪された、世界的に有名な薬害デマ事件です。
しかし日本ではほぼ同時期にMMRワクチンの国内製造時の問題で本当に薬害が起こっていたので、日本人はウェイクフィールド事件を知らず、薬害デマ問題への社会的な耐性を獲得しないまま現在に至っています。
2、弱いエビデンスにとどまるが、期待は大きい
今回の論文はVirScanという新しい検査方法によって生まれたといえると思います。
ある個人が免疫記憶を持っているかというのは古くから検査法がありましたが、1つずつしか調べられませんでした。
それがVieScanなら少量の血液から30ほどの免疫記憶のレパートリーについて、安価かつ迅速に評価できるということでした。
今後VirScanを使った研究は次々現れてくると思われます。
https://www.trendswatcher.net/aug-2015/science/血液一滴で感染症がわかるvirscan/
さてエビデンスレベルⅣbというのは従来のガイドラインを鑑みると、「弱いエビデンス」とされることが多いかなと思います。
もちろん「現時点では」ということなので、サイエンスに掲載された実績を踏まえて次々と後追い実験もされるでしょうし、それらを統合したメタアナリシスを作成する際も本論文は十分に議論に耐えられると思います。
またエビデンスレベルを高めるために重要なコホート調査に関しても、Fig1-Bを見る限りMV negative群もサンプル数わずか5ながらもバラツキが少なく、サンプルサイズを大きくすれば良い結果が得られる可能性を期待できそうです。
まとめ
以上から本研究は、VirScanという新しい検査方法を用いて、近年予防接種率が低下し続けている麻疹ウィルスの新たな危険性を示したということが評価され、サイエンス掲載を果たしたものと思われます。
ただし速報・第一報的な論文であり、今後の後追い研究による十分な吟味が必要かと思います。
また本研究からワクチン行政全般について議論するというのは難しいでしょう。
もちろんMMRワクチン推進に関しては本論文単独でも、新しい切り口による強力な論拠になると思われます。
VirScanの応用力の高さなども含め、今後の展開が楽しみです。